図書館だより 第1号(2003.10.10)

■目 次
「図書館だより」の発刊にあたって
  附属図書館長 吉良 国光
  • 『自由への讃歌/バーンスタイン
    ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱》』
    音楽科 小川 伊作
私の図書館利用法
  音楽科2年
附属図書館長 吉良 国光
 このたび図書館では、「図書館だより」を年2回発行するようになりました。これは学生の皆さんに、図書館を大いに利用して頂くための、図書館からの情報発信であり、また教員からの読書のすすめや本にまつわる情報の提供です。
 学生や若者の読書離れが叫ばれるようになってから、かなりの時間がたちました。読書は、皆さんが直接会話することができないような人、現在の世界各地でいろんな優れた活動をしている人や過去にそうした優れた業績を残された人たちの思想や考え方に触れ、感銘を受けたり、またあるときは反発をもしながら、そこから多くのことを学び、吸収することができるすばらしい作業です。読書するということは、本を書いた人とのある意味での対話であり、いろんな人の考え方に触れることのできる精神的な放浪の旅でもあります。
 若い皆さんが、本学に在学している内に2度3度と読みかえしたくなるような本と出会い、精神的に豊かな学生生活を送られるよう、そしてそのためにこの「図書館だより」が少しでもお役に立てる事を願いながら、お届けします。
館内案内図
休館日と開館時間
■休館日
 土曜日・日曜日・国民の祝日・年末年始・図書館休館日(概ね月の中日及び末日の2日間)。夏期・冬期等の休業期間中でも図書館は開いています。
■開館時間
 午前9時から午後5時まで
■注意事項
 館内では静粛に、飲食・喫煙はしないこと。携帯電話は電源を切る等、他の利用者の迷惑になるような行為はしないでください。
館内案内
■玄関ホールを入って左側にロッカーがあります。
 図書館内にはバッグ類の持込は禁止です。貴重品、筆記用具以外はロッカーに入れ、鍵をかけて入館してください。

■更に扉を開けると左手にコピー機、正面には貸出・返却を行うカウンター(窓口)が、右手に利用者用のコンピュータ、新着図書が、設置・配架されています。
 コピー機は、図書館資料の複写用に設置しています。1枚10円です。図書館資料を複写する場合は、著作権法に違反しないよう留意して行ってください。
 カウンター(窓口)には職員がいつでも利用者の要望に応えられるようにスタンバイしています。分からないこと等、なんでも相談してください。
 利用者用のコンピュータは、書誌データの検索やインターネット等ができます。ただし、メッセンジャーやチャットには使用しないでください。

■カウンターの左側にはビデオ書架があります。
 貸出しは出来ませんが、複数で見る場合は視覚室、一人で見る場合は試聴室を利用して見ることが出来ます。カウンターで所定の手続きをしてください。

■更にその奥が、第一閲覧室です。
 美術・音楽関係の書籍、楽譜が配架されています。
 美術関係の資料は重い物が多いので、取り扱いには注意してください。
 楽譜で禁帯出以外のものは1日貸出しです。

■第1閲覧室を出て直ぐに階段を上ると、左側奥から、試聴室、学術情報室、視覚室の順になっています。
 試聴室:音楽関係のCD約3,800枚をはじめ、ビデオ、レコード等多数所蔵されています。通常の開館日の午後0時30分から4時30分まで開室し、音楽科副手が配属されています。機材の取り扱い等分からないところは、お聞きください。
 学術情報室:各種大学の教員の研究論文等を配架しています。貸出しは出来ませんが、複写をすることは出来ます。
 視覚室:大型テレビや美術関係のビデオが配架され、複数でビデオ等の鑑賞が出来るようになっています。カウンター係員の許可を得て利用してください。また、美術科の講義にも利用されています。

■次に館長室の前を通って、第1書庫です。
 和洋雑誌の当該年度以外のもの、指定書、音楽洋書、文庫本が配架されており、貸出しも出来ます。
 また、コンピュータも設置しており、書誌検索等に利用することが出来ます。

■第1書庫を通り抜けると、第3閲覧室です。
 第3閲覧室は、辞書・事典類、哲学、歴史、言語、文学、郷土資料関係の図書が配架されています。
 この部屋にもコンピュータが設置され、書誌検索等に利用されています。

■らせん階段を使用して1階に降りると、第2閲覧室になります。
 第2閲覧室は、最新の雑誌、社会科学、自然科学、産業・技術工学、芸術、スポーツ関係の図書、ポルトガル語文献の図書、及び各種新聞が配架されています。また、教員推薦の指定書も配架されています。

以上が図書館施設の概要です。図書館施設の利用方法等で分からないことは、係員にお尋ねください。

図書館クイズ
ご存じですか? 図書館の蔵書数。下の()のなかの数字を当ててみてください。
 和 書 ( )6,765冊
 洋 書 ( )2,507冊
 C  D  ( ),874枚
 ビデオ  ( ),404巻
解答はこのページの最後に掲載しています。
※取り上げられた本は、附属図書館に所蔵もしくは所蔵予定です。
一般教育 貞包 博幸
 こころに残る本と言えばかなりあるが、そのなかでもとりわけ衝撃的であった一冊の本がある。P. パッペンハイムの『近代人の疎外』(岩波新書、1960)がそれだ。
 表紙をめくり扉ページを開けた瞬間、一葉の絵がボクの目に飛び込んできた。なんとその絵は両手を縛られ、絞首刑にあった男の宙づりの死体が右側に描かれ、左側には一人の女が、この男のぱっくりと開いた口に手を差し込もうとしている姿が描写されていたではないか。これだけならまだしもだが、その表現はさらにショッキングであった。
 男は首をうなだれ、目はうつろに見開き、身体は物体のように硬直化している。女は死体を前に目がひきつり、えも言われぬ恐怖におののいている。なんとも不気味な描写で、この絵を前にすれば、誰しもきっと顔をそむけることだろう、と思った。
 ところが、である。不思議なのは次の瞬間、この絵はこの本の内容とどんなかかわりがあるのだろう、といぶかりつつ早速ページをめくり始めていたのである。
 じつは、ページをめくってすぐにわかったことだが、この絵はゴヤのもので、連作「カプリーチョス」のなかの「道を求めて」と題された一枚の銅版画であり、絞首刑にあった男性の歯には魔法の力があるという迷信を題材にしたものだということだった。と同時に、この絵が扉ページにはさみ込まれた理由もすぐにわかった。
 死体を前に顔をそらす本来の自分と、それでも歯を抜き取りたい欲望の自分。この絵の女のように、現代では人は二つの相反する心に引き裂かれていて、二人の自分が常に同居している、というわけである。だから、死が人にとって忌むべきものではあっても、自分の欲望を達成する手段としてなら、死に対してすらも、人はときとして傍観者となりうるし、無関心でありうる。このことが著者の主張であった。
 この本が出てすでに長い年月が経った。だが、おそろしいことに世の動きはますます人間疎外の方向に進んでいる。少くともボクにはそう思える。
(さだかね ひろゆき/西洋美術史)
国際文化学科 野坂 昭雄
 私が地元鳥取の高校に通っていた頃、化学のM先生は文系の生徒には理系の本を、理系の生徒には文系の本を読むように勧めていた。文系のクラスで強く薦められたのは、ファラデーの『ロウソクの科学』(岩波文庫、角川文庫ほか)。もっとも、その頃の私は歴史的なロマン(?)を求めてエジプトのピラミッドなどに関する本(ツェーラム『神・墓・学者――考古学の物語』(中央公論新社、絶版))やトロヤの遺跡を発掘したシュリーマンの『古代への情熱』(岩波文庫、新潮文庫ほか)、ヘディン『さまよえる湖』(中公文庫、角川文庫ほか)などを読んでいたように記憶する(私は全く文学青年ではなかったのである)。
 数学が決して嫌いではなかった私は、大学入学後に教養科目の「数学」という講義を履修してみたが、そこで繰り広げられたのは、それまで得てきた数学の知識では全く歯が立たないような奥深い世界であった。「ガロア群数」とか「ガロア理論」(?)とかいうのだが、履修していた文系の学生は誰もその内容が理解できなかったのではないだろうか(そのため、その講義の試験では何を書いても単位がもらえた)。もう一つ、大学時代で印象に残っているのは「化学」の講義であった。ブラック・ホールのこと、また恒星や惑星に関する話に魅了された。大学1年の時に最も好きだった講義である。
 大学とは不思議な所である。中世和歌を専門にしている先輩のMさんは、日本文学の専門書などそっちのけで数学や哲学の本を読み漁っている。理由を聞いてみると、「こっちの方が面白いから」。あるいは、唯一絶対の形而上学を樹立しようとする哲学科の先輩もいた(これがどんなにスケールの大きなことであるか! もし本当に形而上学を樹立できたらノーベル賞どころの騒ぎではない)。もちろん素人だから詳しいことはわからないが、そうした世界には不思議な魅力がある。そう言えば、大学の理学部に数学科という学科があり、そこには日々難しい数学の問題に頭を悩ませている学生たちがいる。彼らにとって数字とは言葉である。言葉で書かれた作品を扱う文学研究と、それはどこかしら似ているのだろう…。
 まずは数学の書を紹介しよう。アミール・D・アクゼル著『天才数学者たちが挑んだ最大の難問――フェルマーの最終定理が解けるまで』(早川書房、1999)という書。「フェルマーの最終定理」とは、17世紀のアマチュア数学者フェルマーが書き残したメモで、「Xn+Yn=Znは、nが2より大きいとき、自然数の解を持たない」という一見単純なものだが、これの証明は世紀の難問と呼ばれ、多くの数学者たちを悩ませたそうだ(ちょっと考えれば、この証明がどんなに難しいかすぐに解るだろう)。20世紀中には解決不可能だと言われたこの定理が、1995年にアンドリュー・ワイルズによって証明されるまでの様々な軌跡を、この書は分かりやすく描き出している。ちなみに、その証明は論文にして200ページを越える分量であったそうだ。この本をきちんと理解するのには数学的な知識が必要であるが、知識がなくとも数学という世界の一端に触れることはできる。私はこの本を読んで、大学時代に理解できなかったガロア理論をもう一度勉強し直したいと思った。
 この他に私が薦めたい本として、本川達雄『ゾウの時間ネズミの時間』(中央公論社、1992)、多田富雄『免疫の意味論』(青土社、1993)、それから梅津信幸『あなたはコンピュータを理解していますか?』(技術評論社、2002)を挙げておこう。詳しい説明はここでは行わない。今は専門の書を読むだけで手一杯だが、私も時間があればそうした理系の本を更に読みたいと思っている。図書館に配架してあるので、学生の皆さんも気が向いたらぜひ手に取ってみてほしい。ちなみに、M先生は発想の幅を拡げるために理系の本を読むよう勧めていたと思う。確かにそうかもしれない。だが、そんな理由づけは必要ないだろう。面白いから読む、それでよいのである。
(のさか あきお/日本文学)
情報コミュニケーション学科 三宅 正太郎
 平成12年5月、1冊の本を入手した。とある本屋に行ったとき目に入った1冊の本。表紙に青空を背景に著者のポートレート。緑の帯に黄色のゴチックで「涙もいっぱいでるけど、げんきもたくさんでる本です。」
 白い毛糸のタートルネックにギンガムチェックのジャケット。メタルフレームの奥の目が未来を見つめる。髪は、自然な流れ。自然体の著者の人柄が伺われる。どちらかといえば野暮ったい表紙の装丁。
 昭和55年1月女子中学生が、いじめに遭い、それを苦にして川原で割腹自殺を図ったことが各新聞で一斉に報道された。この報道に接して、そうとうショックを受けた記憶がある。あのときの女子中学生が、今弁護士となって立派な本を書くようになったのか。「立志伝」読み物かと読み始めた。しかし、とても重たい内容。
 華奢な身体で、端整な顔立ちの人柄から伺いしれない、著者のすさまじい半生が読む者を圧倒していった。穂積隆信の『積み木くずし』(角川文庫、1985)をしのぐ内容。中学校の時にいじめに遭い、親友からの裏切り、荒れ、16歳で極道の妻、背中に入れ墨。養父との出会いをきっかけに人生をやり直す。中卒で、司法試験イッパツ合格。弁護士として非行少年の更生活動の経過など。
 一気にページを繰っていった。途中、胸が詰まり、涙があふれて活字が見えなくなることも。すさまじい様子が淡々と書き綴られている。
 ともあれ、読み終えたとき、何かを感じ、力が湧いてくる感じがしました。がんばってみようと。
 落ち込んだとき、試験に失敗したとき、挫折したとき。周りを恨むこともあるでしょう。しかし、自分の人生にとってなにをすべきか。気づいたとき、そこからリベンジーができる。やろうとして必死で努力の意義が。自分の人生をよりよく生きるために。
 著者大平光代さんのたどった道は、自ら運命を切り開いていく人間の可能性である。どんな人生にも転機が訪れる。できることなら、流されてしまいたくなる苦しい局面に、辛抱し続け、幸運をつかみ取っていく勇気を持ってほしいと。
 少年犯罪・非行少年を担当する弁護士の半生からメッセージ。人間誰しも、挫折するときがある。誤解され、傷つくことがある。そのとき、勇気を与えて、活力を与えてくれる一冊の本として、是非読んでいただきたい。
(みやけ まさたろう/教育工学)
一般教育 高瀬 圭子
 悪魔に従い、妖術を使うとされた魔女。奇跡の力をもつとして、崇め奉られた聖女。いずれも、現代日本に生きる私たちの目から見ると、不可思議な存在かもしれません。それは、実際のところいったいどんな存在だったのだろう? そんな読者の好奇心に対して、池上俊一氏が著した『魔女と聖女 ヨーロッパ中・近世の女たち』(講談社現代新書、1992)は、ヨーロッパ中世・近世において魔女や聖女がいかにして生み出されてきたか、実例をふまえながら丁寧に解きあかすことで応えてくれます。
 けれども、本書はそれだけで終わるものではありません。魔女も聖女も、通常の人間のあり方から逸脱した、いわば超自然の力をそなえた存在だと見られた点において、共通項をもっています。それが、一方は邪悪の化身、他方は神聖なる理想とされるようになったのはどうしてなのか、著者は、キリスト教の伝統の中でひときわ大きな意味をもつ二人の女性、人類の始祖アダムの妻であったイヴと、イエスを生んだ聖母マリアのイメージと結びつけることによって、この問いに答えようとしています。そして、古代以来西欧社会において、言葉を用いてイメージ形成に影響を与える力をもっていたのは、基本的には男性からなるエリート層だったのであり、彼らの抱いていた女性観がそこに反映していることも指摘されます。さらにそのうえで、著者の視線は、キリスト教的な、そして言うなれば男性中心的な女性観に支配された社会の中で、魔女でも聖女でもない、ふつうの女性がいかに生きようとしたのか、その点にも向かってゆくのです。
 本書で取り扱われた中世・近世のヨーロッパは、現代日本とは時間的にも空間的にもかけ離れていますし、キリスト教に基づく世界観の枠組みの中で人々が思考していたという点において、特殊な世界のようにみえるかもしれません。けれども、どのような時代や社会であっても、特殊でないものはひとつとしてなく、現代に生きている私たちも、無意識のうちに何らかの枠組みの中で物事を考えているのです。人間の社会における女性観という普遍的なテーマに、ひとつの特殊な視点から切り込んだ本書は、そうしたことを読者に気付かせてくれるものです。そして、現代の男性と女性のあり方を考えるうえでも、十二分な刺激を与えてくれるはずです。
(たかせ けいこ/西洋史)
情報コミュニケーション学科 藤田 文
 私がお薦めする本は、池谷裕二・糸井重里『海馬-脳は疲れない-』(朝日出版社、2002)です。この本は、31歳の脳研究者池谷裕二さんと、インターネット上で「ほぼ日刊イトイ新聞」を主催しているコピーライター糸井重里さんの対話をまとめたものです。この本では、「頭がいいってどういうこと?」「よりよく生きるってどういうこと?」について考えていきます。
 頭がいいということは、お勉強ができるとか、知識が豊富という事とは違います。「こまやかな心配り」「いざという時の適切な対応」「面白い遊びの発見」などができること、そして物や人とのコミュニケーションが取れている状態を頭がいいととらえる所からこの対談は始まります。
 題名の「海馬」は、脳の中の記憶を司っている部分の名前です。池谷さんは、この海馬の研究者で、なんと頭がよくなる薬も発見したという人です。そんな薬が本当にありうるのか、その点も非常に気になります。他にも最新の脳研究から、楽しく面白く生きるための脳の使い方を教えてくれます。例えば、記憶の実験をすると、ミスをした時の方が記憶の定着率がいいそうです。間違えることは脳にとっては飛躍のチャンス、つまり、失敗や失恋が人を賢くさせるのです。
 さらに、頭のよさと関係しているのは神経細胞のつながりというわけで、この本では「つながり」がキーワードです。そして、面白いのは、インターネットも人の「つながり」を作るという意味では同じような働きをしているととらえていることです。糸井さんは、毎日50万を超えるアクセスのあるホームページを開いていて、そこに賢さの可能性を見出しています。今までは、まとまった考えを発表するのが当然でしたが、インターネット上では、仮説や未完成の考えを発表していい場なので、インタ-ネットを利用した新しい思考のつながりが作られているというわけです。最新の脳の研究と情報化社会とのつながりが、二人の対話の中で見えてくる点もこの本の魅力です。
 心の働きはまさに脳の働きです。ですから、心理学に興味がある人はぜひこの本を読んでみて下さい。それから、「学生時代に頭をよくするぞー!」というやる気満々モードの人にも、「私、頭悪いからなにをやってもだめだわー」というあきらめモードの人にも読んでもらいたいです。奥深い心や脳の働きを知れば、もっと面白く生きることができるという目からうろこのお薦め本です。
(ふじた あや/発達心理学)
国際文化学科 伊藤 泰信
 「これは『本』 ではない。何万年の歴史を生きてきたひとつの民族、ひとつの文化が、いま正に風前の灯にある、その灯を消すまいと、必死に祈り、戦い、怒り、しかし静かに語る魂──憤死した先祖たちが萱野氏というアイヌを通して全日本人に呼びかける『声』そのものだ」。この一文は本書のカバーに書かれた本多勝一氏の言葉です。この本を何度も読み、思い立って、テントと寝袋を背中にかついで初めて北海道の二風谷を訪ねたのは、国連の定めた国際先住民年の93年夏でした。今考えれば無謀な(しかも、礼儀知らずの)二風谷への入り方でした。この年の夏、北米や北欧など13カ国、27民族の集まった国際フォーラムが二風谷で行われました。私と同じように寝袋を背負った若者も多数来ていたわけですが、この本の魅力に引き寄せられて、という人も多かったはずです。初めてお会いした萱野氏は、本の表紙に「伊藤オッカイポ」(オッカイポは青年という意味のアイヌ語)とサインして下さいました。それ以降10年にわたり(関わり方は様々に変わりましたが)二風谷との関係が続いています。
 「先に死んだ方が幸せだ」という有名な箇所があります。和人(日本人)によってアイヌ語や文化を根こそぎ奪われてしまった悲しみが表現された一文です。著者の父を含むアイヌ民族の3人の老人達が、「アイヌ流の葬式をしてもらいたい、しかし最後に死んでしまうと、もう誰もアイヌ流で(アイヌ語で)あの世に送ってくれる人がいなくなってしまうから、先に死ねば、他の2人にアイヌ流で送ってもらえる。だから先に死にたい」と話し合っていた、というくだりです。著者萱野氏が、日本という国のなかで、どうしてアイヌ民族の言語や文化の復興(アイヌ語教室・ラジオ講座開講などのアイヌ語の普及、アイヌ民具の蒐集や博物館の建設)に取り組みだしたのか、何に突き動かされてアイヌ民族最初の国会議員となったのか、を雄弁に語る文章です。「国際化」を口にしつつ外にばかり目を向けがちな私たちにとって、足もとの問題、自分たち自身の内なる問題として、この本を読む必要があります。
 本書は英訳もされています。また、興味をもたれた方は、本多勝一著『アイヌ民族』(朝日新聞社、1993)とそれをマンガ化した石坂啓画『ハルコロ』(潮出版社、1992-93)が図書館にあるので、併せて読めば、アイヌ文化の豊かさを味わうことができると思います。
(いとう やすのぶ/文化人類学)
『自由への讃歌/バーンスタイン  ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱》』(POLG-1015:レーザーディスク)
音楽科 小川 伊作
 ベートーヴェンの交響曲第9番。いわゆる「ダイク」と略されて、それはもう改めて口にするのもはばかられる、そんな感じがするほどこの曲は日本で有名だ。だから人によっては「ああまたダイクか」と、目をそらされてしまう心配を禁じ得ない。だけどちょっと待って欲しい。このダイクは違う。どこがちがうのか?まずタイトルが目をひく。「自由への讃歌」。何と崇高にして美しいスローガンだろう。だが待てよ。なぜダイクと「自由」が関係あるのだろう。もちろんフランス革命と同時期に生きたベートーヴェンにしてみれば、「自由」は生涯を通じて強い関心事であった。けれどそれだけじゃない。そう、このディスクはあのベルリンの壁が崩壊して、東西ベルリンが一つになった年に演奏された記念碑的録音なのだ。だからオーケストラも一つじゃなくてバイエルン放送交響楽団にドレスデン交響楽団、外国からはソ連、イギリス、アメリカ、フランス各国のオーケストラが競演している。そして指揮者がバーンスタインだ。「バーンスタインって誰だ?」と思う人も、あの『ウエストサイド・ストーリー』の音楽の作曲者といえば、わかるかもしれない。主題歌の「トゥナイト」は、その旋律を一度聴いたら忘れられないほどシンプルにして美しい。バーンスタインの弟子でもあった指揮者の小澤征爾が、ニューヨークでのヒットぶりを「タクシーの運ちゃんが'トゥナイト'を歌っている…ラジオも'トゥナイト'を歌っている」と自伝に記しているほどだ。
 『ウエストサイド』を作曲したことからわかるように、バーンスタインは音楽に対する包容力がずばぬけて大きく深い音楽家だ。ジャズ、ポップス風のものからシリアスなものまで、幅広く仕事をしてきた。しかし器用貧乏といった形容とは無縁だ。彼はモーツアルトのピアノ協奏曲を弾き振りし、ウィーンフィルと喧嘩しながらマーラーを指揮し、ミュージカルを作曲し、また「ヤング・ピープルズ・コンサート」で若い人たちに音楽のすばらしさを説き続け、そしてこの第九の指揮をした。そのすべてにおいて彼は聴く人の心を強く揺さぶり続けてきたのだ。
 全部見ると90分を超える。時間がない人のために、アドヴァイスをひとつ。冒頭5分ほどのバーンスタインのスピーチは必聴。次は第四楽章に飛ぼう。ベートーヴェン流音楽構成により、四楽章が始まると、先行する三つの楽章の主題が次々と回想されるのだ。そして歓喜の主題へと導かれていく。つまりこれで各楽章のさわりは聴いたことになるのだ。
 1989年12月25日クリスマスの日に行われたこのコンサートでは、バーンスタインは意図的に第四楽章のテキストの「喜びFreude」を「自由Freiheit」に代えて演奏している。そのあたりの事情は実際にディスクを見ていただくと、冒頭バーンスタイン本人が出てきて説明をしてくれる。おそらく数ある第九の録音のなかで、これほど喜びにあふれた演奏は稀である。
 翌年1990年バーンスタインは、パシフィック・ミュージック・フェスティバルを札幌で立ち上げた。環太平洋地域の若い音楽家を育成するためのこの講習会は、彼の悲願であった。講習会は成功し、現在も続いている。しかしバーンスタイン自身はその年の秋10月14日に72歳で永眠することとなる。
 試聴室には『ウエストサイド』のDVDもおいてあります。彼のCD、LDもたくさんあります。「ヤング・ピープルズ・コンサート」のLDも全部あります。さあ音楽を聴こうではありませんか。
(おがわ いさく/音楽学)
 私は読書がとても好きです。あまりジャンルにはこだわらずにいろんな本を読みます。小学校の頃から図書館通いをしていました。今まで一体何冊の本を読んできたかは分かりませんが、そんな私が初めて大学の図書館を利用したのは一年の前期だったと思います。その時はただ自分の持っていない楽譜を閲覧する目的だけでした。大学生になりたての時でなかなか本を読むという時間が取れなかったからです。しかし音楽科なので、視聴室は使用することはしばしばありました。時間に余裕ができてから私の図書館利用数は増えました。
 主に利用するのは第一閲覧室、第三閲覧室、第一書庫室です。第一閲覧室では、自分の演奏する曲のことを調べる時や、まだ演奏したことがない曲から次に演奏する曲を選ぶ時、作曲者の伝記を読む時などに行きます。第三閲覧室には読書がしたくなった時に行きます。しかしその時の気分で本を選ぶので、借りない時もあります。第一書庫室は誰もいないことが多いので、自分が集中して調べたいことがある時に行ってパソコンを使い、古い雑誌を閲覧しに行きます。
 あと、テレビで話題となった本で自分が興味を持った本、本屋で見かけて興味を持った本をよく頼みます。自分で全てを買うことができないので、ここでの利用数が一番かもしれません。
 設置されているパソコンは図書館のホームページをよく使います。最も私が見るのは蔵書検索、ベストリーダー、新刊の部分のみだけですが。
 今では、もう館長や司書の方達とも顔見知りとなり、いろんな会話を交わすようになりました。
 私の利用法は偏っているかも知れませんが、楽しんで利用しています。これからもどんどん図書館を利用していきたいと思います。
音楽科 2年
※2003年4月以降
  • 加藤千恵子、石村貞夫、盧志和『SPSSでやさしく学ぶアンケート処理』東京図書
  • 加藤千恵子、石村貞夫『Excelでやさしく学ぶアンケート処理』東京図書
  • 加藤千恵子、石村貞夫『Point統計学 相関係数と回帰直線』東京図書
図書館クイズの解答
 和 書 (6)6,765冊
 洋 書 (2)2,507冊
 C D  (3),874枚
 ビデオ  (1),404巻
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