車いす陸上競技界プロアスリート廣道純選手にインタビューしました!

2013年10月08日

 「第4回 大分国際車いすマラソン交流イベント~大分から世界へ、廣道純選手の挑戦」で講演をしていただく廣道純選手に、国際文化学科2年生の河野由芽さん、木藪守さん、出口英さんがインタビューを行いました!3人は、「第33回 大分国際車いすマラソン大会」のボランティアスタッフとして参加します。
※芸短フェスタイベント「第4回 大分国際車いすマラソン交流イベント~大分から世界へ、廣道純選手の挑戦」は、10月18日(金)開催です。イベント詳細はこちらをご覧ください。

◆廣道純選手インタビュー
=一番大きかった反省の気持ち=
Q 高校1年生の時に事故に遭われたということですが、事故当時の気持ちを教えてください。
A.「やってしもうた」「えらい失敗したわ」ていう。(笑)その反省の気持ちが一番大きかったのと、死んでなくて生きててよかったという思い。それにつきるかな。


=何も考えず、ちゃらんぽらんだった学生時代=
Q.事故に遭われる前の夢を教えてください。
A.夢というほどのもんはなかったけど、勉強が嫌いやったから、トラック野郎になろうと。勉強なんかせんでいいという理由をつくるためにトラック野郎になろうと思って、電飾をキラキラつけて全国を走り回る!という小っちゃな夢が中学生の頃あって、あとは特にほんまにスポーツ得意やったんやけど、スポーツで全国大会を目指そうっていうほどもクラブ活動を一生懸命せんかったし、勉強は全然せんかったし、じゃあ、どんな仕事につきたいかっていう目標もな~んもなく、毎日その日その日を楽しく過ごしてた。
夢はほんまになかったぐらい、何も考えてなかった。ちゃらんぽらんだった。

=見た瞬間「これやる!」と直感=
Q.車いすの競技に出場しようと思ったきっかけはなんですか?
A.出場しようと思ったというよりも、始めようと思ったのは、入院してた時のリハビリの先生(のアドバイス)。リハビリってすることがなかったんよ。もう背骨がひっついて、動けるようになった時から車いす自分で乗れてたし、体操やってたから、手の力がもともとあって、だから普通は車いすに乗るための訓練をしたり、バランス感覚を養って・・・ていうのもすべて出来てしまってたんで、病院ですることがないと。それで病院の先生が「車いすでもスポーツができるから見学に行こう」と、スポーツセンターに連れて行ってくれて、でみんなが走っている姿を見て「あ!おれ、これやる!」って。もうその入院中にひまつぶしじゃないけども、退院するまでの間、体を鍛えるために先生はそういうスポーツの世界を見せてくれたんやと思うけど。で、まあそうやってスポーツができるっていうのが分かってからは、もう実際8月くらいに陸上始めだして、初めて出たのが年明けて3月のハーフマラソンで、4月にはフルマラソンに出てしまってるんで。だから「どこどこの大会を目指してがんばるぞ!」とかそんなんは特になく、やりだしてその距離が走れるようになったから出た。ってそんなカンジ。

=苦労はナシ!勢いにのってすべてがスムーズに!=
Q.ホームステイをされた際に苦労したことはありますか?
A.苦労。。。う~ん。いや苦労はしてないかな。
Q.英語とかは?
A.英語は、ある程度しゃべれるようになってから行ったから。。。そうやね。ホームステイする前、最初に世界チャンピオンに出会う時・・・まあそれも苦労してないな。(笑)
会いたい!と思ってボストンまで行って、すんなり苦労せず会えたから、一回行って会えんかってまた次行かなあかんとかやったら、ひょっとしたらどっかで行かんようになってたかも分からんのが、いきなり初めて行ったボストンでいきなり会えたし。で、会えて声かけたら、名刺くれて「連絡してこい」ってなって。だからホント苦労せず、ポンポンと勢いで全部うまくいって、どれくらいかな。たぶん出会って、1年くらいしてから、家に呼ばれたんかな。だから出会った時に「英語を勉強しよう」と思って。で、それから1年経ってたから、そんなに困ることはなく、空港で待たされることもなく、着いて出たら迎えに来てくれてた。けっこう外人アバウトやから「出たのに誰もおらん!連絡先も持ってきてないのに!」っていうのってたまにあんねんけど、そういうことはなく、ちゃんとすんなりオープンカーで迎えに来てくれて。(笑)

=“楽しい!”という気持ちが結果に繋がる=
Q.これまでに数多くの素晴らしい成績を残されていますが、その成績を残されるための努力とかを教えてください。
A.基本、最初のはいり口は「楽しいな」と思ってやりだして、“楽しいから練習する”“練習すれば速くなる”“人よりも速く走ることが楽しいからもっと練習をする”“どんどん人よりもたくさん走る”っていうのを繰り返していったら、たまたま結果が出た。っていうような感じで、やっぱり勝つために何かをやっているというよりは、楽しむためにやっていたら、結果が速くなった。という方が強いから。。。これまた苦労してないんだわ。(笑)好きなことを楽しんでやっているから「練習が嫌やな」と思ったことはないし、「レースをやめてしまいたい」と思ったことはないし、負けた時も、負けた時に感じる悔しさであったりとかを楽しんでいるから、「あ~悔しいなあ。速い奴がおったんや」「よし!じゃあまた次頑張ってアイツに勝とう!」みたいなのが、次の試合に向けての練習になったりっていうので、ホントにず~っと楽しい。楽しい22年間。

=支えることはあっても、支えられない=
Q.22年間、続けてこられたのは、何か支えとかがあったのですか?
A.う~ん。いやホントに22年間、続けることが大変なことやったら、何か支えがいるんやけど、大変じゃないから、全然。。。そうやね。。。支え。。。支えは基本。。。ない。日常のどんなことにおいても、支えられない、支えられたくない。自分で支えてるから。もともとそういう性格。人に支えられるっていうタイプではないね。「人を支えたいな」と思うことはあっても、誰かに頼ったりっていうのは嫌いやから。「一人で生きてってやるぜ!」的な。(笑)まあ、わがままなだけや。

=ずっとトップであり続ける!=
Q.今後の目標ってありますか?
A.まだ金メダル獲れてないから、パラリンピックでの金メダルっていうのは次のリオでも狙うし、リオの次の東京でも狙うし、おそらく年齢的には東京の次、2024年くらいまではフツウにトップで戦えるやろうし、環境さえ今の状況で走れる環境が続けば、まだその先、ハインツが55歳でトップでやってるっていう目標があるから、最低でもそれくらいか、60歳くらいまで。あと子供が今まだ下の子が0歳だから、あと20年間はトップでやり続けられたらいいなと。その間ずっと世界一を目標にやり続けるというのが、目標かな。

=去年は8位。もうちょっとついていかなあかん=
Q.今年の「大分車いすマラソン」での意気込みを教えてください。
A.自分の中では、2008年の北京トラック800mでメダルを逃したことで、ちょっと世界の流れが変わってきたというのを感じてて、それまではマラソンとトラック両方に力を入れて、どっちもそのレース前に調整をしてマラソンで頑張る、マラソンが終わってトラックがあればトラックを頑張る。っていうのをやってきたんやけど、完全に800mで上位に入る選手はマラソンをやらず、トラックに絞ってるっていうのがあったことで、「もうマラソンを捨てよう」と。北京が終わってちょっとしてくらいから、マラソンはしばらくメダルを奪い返すまでは、いいわ。っていうぐらいに自分の中で線を引いているので。一応、マラソンは“ジョギング”という位置付けでおれはいま考えているねんね。
だけど、今年も7月に世界選手権が終わって、今度10月27日、翌週11月3日までレースが続くんやけど、それまではロードレースしかない、トラックのレースがないので、7月の世界戦が終わってからは、マラソンの練習にシフトしている。
この限られた、毎年秋の2~3カ月だけは、「マラソンランナーになろう」っていう風な感覚やから、自分の中でそれで世界と勝負できるほど甘い世界ではないと思ってて、だからその三ヶ月の練習で、どれくらい走れるんやろう。っていうのを探りながら、ちゃんと一年かけてマラソンの練習したら勝負ができるっていうところには、必ず留まっとかんとあかん。いずれパラリンピックのトラックでメダルを奪い返した時には、マラソンも本腰いれて勝負しに行くから、その時にモチベーションを保てるくらいの結果で、去年は帰りの大野川で集団からきれて8位になったんやけど、まぁまぁ、もうちょっとついていかなあかんかなと。
去年は9月のロンドンパラが終わってからの練習やったんで、一カ月半くらいしかなかったんやけど、今年はもうちょっと日にちがあるから、ある程度の集団で最後まで帰ってこれればいいかな、という感じ。

=まずはレースを見て、感じてほしい=
Q.学生ボランティアについてどう思いますか?
A.初々しい。(笑)。まぁ、学生に期待することというかね、ボランティアになって「何かをする」とかそういうことよりも、まずはやっぱりレースを見たり、色んな世界中から集まってくる選手達を見て、そういう選手たちがどんな風に競技に参加して、どういう動きをしてるのかっている細かいところまで見てほしい。おそらく何も知らずに“車いすマラソンのスタッフに!”っていう人たちは、「障がい者がやっているスポーツ」「何かをお手伝いせないかん」ていう風に思うかもしれへんのやけど、たぶん手伝いが必要な選手って俺の中では誰ひとりおらん、ぐらいに思ってるねんね。それくらいみんなはアスリートやし、出来て当然のことなんやけど、知られてないことで「障がい者はかわいそう」とか「障がい者は人よりも劣ってる」それで、「手助けが必要や~」っていう風に世間一般的には思われているのを、こういう大会を通して「そうじゃないんや」っていう事を、多くの人に知ってもらいたい。そして、その感じたことをできるだけ多くの人たちに伝えていってもらいたいな。ってそんな風に思います。

◆廣道純選手が出場する「第33回 大分国際車いすマラソン大会」は、10月27日(日)11時大分県庁前スタートです!みなさまぜひ、熱い声援をお願いします!

Profile
廣道 純(ひろみち じゅん)
1973年12月21日 大阪で生まれる。1989年、高校1年の時にバイク事故で脊髄損傷により車いす生活となる。17歳で車いすレースの世界へ入り、1994年、当時の車いすマラソン世界記録保持者ジム・クナーブ氏へ弟子入りを志願。彼の元で生活をしながら、トレーニング方法、勝利に向けてのレースの運び方等を学び、アスリートとしての素質を開花させる。その年のボストンマラソンを皮切りに世界各国のレースに出場、数々のメダルを獲得する。現在は、世界各国でのレースに出場する傍ら、講演会やトークショーへの出演、選手育成、車いすレース普及にむけての活動を行っている。


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