Epistula Vol.23 (2011年03月31日付)掲載

2つの地震に想う

 ニュージランド語学研修に参加した本学の学生達が、クライストチャーチを襲った大地震に遭遇したのはついこの間のことでした。ところが、この惨禍からまだ間もない3月11日に東北地方の広い範囲で起こった巨大地震は、その規模においても罹災範囲においても比較にならないほど大きく「天災は忘れた頃にやってくる」ということわざ通りの、想像を絶する巨大津波が、海岸に面した多くの町を根こそぎ押し流してしまいました。実は私が30歳代の後半、青森県八戸市で6年間過ごしましたが、美しいリアス式海岸の幾つかの町は訪れたことがあるだけに、ショックは大きいものがあります。

 テレビの報道を見て、ふと「稲むら(叢)の火」という話を思い出しました。これは、今の和歌山県広川町で江戸時代にあった実話です。高台にある自宅にいた庄屋の濱口儀兵衛(1820-85)が、地震の後に海水が沖に後退するのを発見して大津波を予見し、収穫したばかりの稲の束に火をつけたのです。その火事を見た住民が高台に駆けつけた直後に大津波がきて、全員の命が救われたというお話です。この話はラフカディオ・ハーンによって紹介され、世界的にも有名になりました。津波は英語でも“TUNAMI”なのは、このためだと言われています。

 その後、儀兵衛は大変な努力をして住民と一緒に大堤防を作ります。これは被災者に仕事を与えることで救済になったばかりでなく、1946年に発生した昭和の南海地震津波でも立派に役目を果たしたのだそうです。

 しかし、今回はかつてのチリ地震津波の教訓から作られた防波堤をも遙かに超す、千年に一度という大地震だったことが明暗を分けたのでしょう。大自然の力は、時にこのような人知を越えた災害をもたらすという、教訓と言うにはあまりにも大きな爪痕を残して去っていきました。犠牲者に合掌。

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