第84回あしなが学生募金に参加しました
2012年05月17日
4月21日(土)・22日(日)と、28日(土)・29日(日)の4日間、「第84回あしなが学生募金」が全国約200拠点で実施されました。今年も延べ150名以上の芸文短大の学生が参加し、大分トキハ前、セントポルタの入り口と中央、別府駅などで募金を呼びかけました。
あしなが育英会とは、病気・自死・災害などの原因で親を亡くした遺児たちや、親が障がいなどで働けない子どもの就学を支援するため、40年以上にわたって活動を続けている団体です。1961年に交通遺児たちが遺児自身のための団体を作り、その支援を受けた遺児自らが、さらにその後輩たちを支えるという点で、世界的に高い評価を受けています。
(参考:あしなが育英会編著、『世界の遺児100人の夢』、岩波ジュニア新書(2006))
本活動は「サービスラーニング」(情報コミュニケーション学科専門教育科目・他学科は共通教育科目)の一環として実施しました。実際に活動に参加し、その経験について振り返り、レポートを提出します。
4月10日(火)の「地域社会特講Ⅰ」(情報コミュニケーション学科専門教育科目・他学科は共通教育科目)では、あしなが奨学金を受けている大学生をゲストとして迎え、呼びかけをお願いしました。芸文短大からは、今年秋の「第39回あしながPウォーク」と「第85回あしなが学生募金」にも参加予定です。
(参考:あしなが育英会編著、『世界の遺児100人の夢』、岩波ジュニア新書(2006))
本活動は「サービスラーニング」(情報コミュニケーション学科専門教育科目・他学科は共通教育科目)の一環として実施しました。実際に活動に参加し、その経験について振り返り、レポートを提出します。
4月10日(火)の「地域社会特講Ⅰ」(情報コミュニケーション学科専門教育科目・他学科は共通教育科目)では、あしなが奨学金を受けている大学生をゲストとして迎え、呼びかけをお願いしました。芸文短大からは、今年秋の「第39回あしながPウォーク」と「第85回あしなが学生募金」にも参加予定です。
以下は、参加学生の感想です。
あしなが学生募金という名前を以前から聞いたことがあり、募金活動はまだだったのでやってみました。また、私も奨学金を借りるつもりなので、ただもらうだけでなく、同じ立場の人の役に立ちたいと思いました。22日午前中は事務所でビラを作ったりまとめたりしました。午後からはセントポルタに立って募金活動の呼びかけをしました。29日も半日のみでしたが、街頭に立って募金活動の呼びかけをしました。
同じ芸短生はもちろん、あしなが学生募金に携わっている学生の方や、地域の高校生など年齢関係なく出会うことができました。その方達とビラ作りの時に仕事を早く終わらせるためにはどうしたらよいか話し合ったり、アドバイスしあったりしてコミュニケーションを図った。街頭で募金活動の呼びかけをするとき、恥ずかしくてなかなか大声で呼びかけることができませんでした。だから、先輩方にアドバイスをいただき、それを実践しました。また、長い文章を大声で読んでも言いたいことが伝わりにくかったので、大切なことをとくに大声で言うように努力しました。人とコミュニケーションをとるために、相手の目をみて話すこととや、相手に伝わるように話すことを努力しました。
私たちは何も力になってあげられないと思い、人ごとのように思ってきたけど、私たちでも力になれることはあったんだなと思いました。またお金の重みを学びました。私は、人前に立つと緊張していつものようにしゃべったり、行動したりすることができないんだなと思った。もっと人前で堂々とできる人間になるために、人前に立って何かをする経験が必要だと感じた。
同じ芸短生はもちろん、あしなが学生募金に携わっている学生の方や、地域の高校生など年齢関係なく出会うことができました。その方達とビラ作りの時に仕事を早く終わらせるためにはどうしたらよいか話し合ったり、アドバイスしあったりしてコミュニケーションを図った。街頭で募金活動の呼びかけをするとき、恥ずかしくてなかなか大声で呼びかけることができませんでした。だから、先輩方にアドバイスをいただき、それを実践しました。また、長い文章を大声で読んでも言いたいことが伝わりにくかったので、大切なことをとくに大声で言うように努力しました。人とコミュニケーションをとるために、相手の目をみて話すこととや、相手に伝わるように話すことを努力しました。
私たちは何も力になってあげられないと思い、人ごとのように思ってきたけど、私たちでも力になれることはあったんだなと思いました。またお金の重みを学びました。私は、人前に立つと緊張していつものようにしゃべったり、行動したりすることができないんだなと思った。もっと人前で堂々とできる人間になるために、人前に立って何かをする経験が必要だと感じた。
情報コミュニケーション学科1年 上木安奈
募金活動を今までしたことがなかったけど、また講義で話をしてくれたあしなが育英会のみなさんの話を聞いて力になりたいと思ったから参加した。「どんな団体なの?」 と、関心を示してくれる人や「頑張ってね。」と声をかけてくれる人がいた。質問に返したり話しかけたりすると向こうも笑顔で応じてくれた。やっぱり最初は街中で大きな声をあげることに抵抗があったけど、みんなも頑張っていてそれを見てたら自然と声が出た。時間帯によっては人が少なかったけど、声を出せば出すほど振り向いてくれる人もいたから精一杯やった。
当たり前だけど、ただ募金してくださいじゃなくてどんな団体でどう使うから募金して欲しいのかを明確に伝える。それを気をつけた。ちゃんと伝えたいことを意志もってやったら関心を持ってくれる人がいるということがわかった。遺児の多さ。また、このような活動することで進学できたりする人が1人でもいるならこの活動はすごく意味があることだと思う。募金箱の重さを直に感じて自分にも役立てることってあるんだなあと実感した。 動く前と比べて活動後、もっと自分の環境に感謝しなきゃなあと思った。
当たり前だけど、ただ募金してくださいじゃなくてどんな団体でどう使うから募金して欲しいのかを明確に伝える。それを気をつけた。ちゃんと伝えたいことを意志もってやったら関心を持ってくれる人がいるということがわかった。遺児の多さ。また、このような活動することで進学できたりする人が1人でもいるならこの活動はすごく意味があることだと思う。募金箱の重さを直に感じて自分にも役立てることってあるんだなあと実感した。 動く前と比べて活動後、もっと自分の環境に感謝しなきゃなあと思った。
情報コミュニケーション学科1年 工藤彩加
地域社会特講の講義であしなが学生募金の九州代表の方のお話を伺う機会があり、病気・災害・自死遺児の奨学金利用という目的や、その活動内容に強い関心をもった。あしなが学生募金のリーダーの方々とお話をさせていただくことができ、九州代表の方から活動の意義や活動団体の構造、成り立ちについてもお話を伺うことができました。本人も奨学金の対象者だと教えていただき、また「ほんの少しであったとしても、募金をしてくださる方々の温かいご支援は遺児たちの心の支えとなる」と教えてくださったときには、その言葉の重さに胸が苦しくなりました。初参加の22日には、本部での状況を判断し、自分にできる仕事を行っていたところを九州代表の方に評価していただき、本部での指揮を任せていただきました。活動が円滑に行えるよう、街頭の局員の方との連絡をとらせていただきました。本部には私を含めた7人の芸術文化短期大学の学生と岩田高校の生徒が3人いました。この10人を中心に、少ないながらそれぞれ役割を分担し、協力して運営の補助に携わりました。29日は少人数での活動となってしまいましたが、そんなことは問題ではないと、地域の方々の温かいご支援が教えてくださいました。少人数だからこそ、参加者一人一人がより活動に自信と誇りをもって取り組めたのではないかと、活動の中交流するあらゆる場面で感じました。
募金をしてくださる方の中には子連れの方もいらっしゃり、多くの方がお子さんの手で募金をさせてくださいました。お子さんが募金される際には手が届かないこともあるので私たちは自然とかがんで受け取る形になります。そこで子供たちが私たちに笑顔を見せてくれるとき、私は募金活動というものを通して、人と人 のつながりを感じ、とても幸せな気持ちになりました。実際に自分で募金箱をもって活動し、募金をしていただくときは、活動について知っていくにつれてよりその重みを感じるようになっていきました。
社会心理学の講義で、<責任の分散>という言葉を習いました。人は、一人でいるときよりも複数の人間の中にいるときのほうが自らの責任を軽視しやすいというものです。募金活動をする中で、通行される方が多いときには、それほど関心を持ってもらえないが、逆に少ないときには関心を持ってもらいやすいと感じる場面がたびたび見受けられました。募金活動に対する援助を責任と呼ぶことは失礼だとは思いますが、講義での内容がこういったところでも実感できるのかと 驚きました。そこで、一緒に活動したボランティアの方々と、交通量にかかわらず、どんな状況でも気を抜くことなく活動することが大切だという意識をもって、数時間に及ぶ活動をともに取り組みました。
さまざまな状況の中で、自分に求められる仕事を判断し、行いました。そのことを局員の方から評価されたことで、自分のとった行動に自信が持てました。また、今回の活動を通して、人に必要とされる人間になりたいと強く思うようになりました。まだまだ本当に自分は無知なのだと痛感し、あらゆる面で自分の力を伸ばし、社会に通用する人間になりたいと考えるようになりました。
募金をしてくださる方の中には子連れの方もいらっしゃり、多くの方がお子さんの手で募金をさせてくださいました。お子さんが募金される際には手が届かないこともあるので私たちは自然とかがんで受け取る形になります。そこで子供たちが私たちに笑顔を見せてくれるとき、私は募金活動というものを通して、人と人 のつながりを感じ、とても幸せな気持ちになりました。実際に自分で募金箱をもって活動し、募金をしていただくときは、活動について知っていくにつれてよりその重みを感じるようになっていきました。
社会心理学の講義で、<責任の分散>という言葉を習いました。人は、一人でいるときよりも複数の人間の中にいるときのほうが自らの責任を軽視しやすいというものです。募金活動をする中で、通行される方が多いときには、それほど関心を持ってもらえないが、逆に少ないときには関心を持ってもらいやすいと感じる場面がたびたび見受けられました。募金活動に対する援助を責任と呼ぶことは失礼だとは思いますが、講義での内容がこういったところでも実感できるのかと 驚きました。そこで、一緒に活動したボランティアの方々と、交通量にかかわらず、どんな状況でも気を抜くことなく活動することが大切だという意識をもって、数時間に及ぶ活動をともに取り組みました。
さまざまな状況の中で、自分に求められる仕事を判断し、行いました。そのことを局員の方から評価されたことで、自分のとった行動に自信が持てました。また、今回の活動を通して、人に必要とされる人間になりたいと強く思うようになりました。まだまだ本当に自分は無知なのだと痛感し、あらゆる面で自分の力を伸ばし、社会に通用する人間になりたいと考えるようになりました。
国際文化学科1年 安藤達哉
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