第80回あしなが学生募金に参加しました
2010年06月01日
4月24日(土)、25日(日)と5月1日(土)、2日(日)に全国一斉に第80回あしなが学生募金活動が実施されました。今年はこれまでで最も多い延べ150名の芸文短大の学生が参加しました。
あしなが育英会とは、病気・自死・災害などの原因で親を亡くした遺児たちや、親が障がいなどで働けない子どもの就学を支援するため、奨学金を支給するだけではなく、遺児たちの心のサポートプログラム「奨学生のつどい」などの活動や、津波やエイズ・地震などによって親を失った国外の遺児との国際的連帯の集いを運営している団体です。
あしなが育英会とは、病気・自死・災害などの原因で親を亡くした遺児たちや、親が障がいなどで働けない子どもの就学を支援するため、奨学金を支給するだけではなく、遺児たちの心のサポートプログラム「奨学生のつどい」などの活動や、津波やエイズ・地震などによって親を失った国外の遺児との国際的連帯の集いを運営している団体です。
「現代と人権」(共通教育科目)であしなが育英会や世界の遺児の現状について学習し、「地域社会特講Ⅰ」( 情報コミュニケーション学科専門教育科目・他学科は共通教育科目)ではあしなが奨学金を受けている大学生に来ていただき、よびかけをお願いしました。この活動は「サービスラーニング」( 情報コミュニケーション学科専門教育科目・他学科は共通教育科目)の一環として実施しました。今年からはじまった「ナラティブ能力育成プログラム」(情報コミュニケーション学科専門教育科目)で、あしなが学生募金などについて調べ、実際に活動に参加し、参加者にインタビューしました。
以下は4月24日(土)、25日(日)の活動について、学生が書いた記事です。
以下は4月24日(土)、25日(日)の活動について、学生が書いた記事です。
朝10時、あしながスタッフの方々を中心に全員で行う最初の呼びかけ(オープニング)が始まった。その後、多くの学生がパルコ・フォーラス・トキハ前、大分駅、セントポルタとそれぞれの持ち場で活動を行った。町行く通行人に大きな声で呼びかけをしたり、パンフレットを配ったりと一生懸命に取り組む姿があちらこちらで見られた。
夕方6時になり代表者1名を先頭に全員で行う最後の呼びかけ(エンディング)が始まった。土曜日はあしなが育英会職員、松井佳さんが先頭に立った。「私が大学進学できたのはあしながの奨学金と母の支えがあったからです。中学2年で父を亡くし、女一つで自分を育てくれた母に感謝しています」と涙ぐみながら、最後まで呼びかけを続けた。その姿は松井さんの活動に対する熱意の表れであり、居合わせた人々の心に届いたと思う。日曜日はあしなが育英会大分学生代表の石橋弘基さんが先頭に立った。「自分のために一日中懸命に働く母を見て進学を諦めていたが、母の言葉に背中を押されて今の自分があります」と語ってくれた。そして最後に「大分の遺児は大分が救ってください。九州の遺児は九州が救ってください」と言う言葉を残し、二日間の活動に幕を降ろした。私にとってこの言葉はとても印象深いものである。今まで不自由なく大学進学できたことが当たり前のように感じていた私だったが、それは違うのだと思い知ることができた。そして、夢を持つ遺児が将来への道をどのように切り開いていくのがよいか一緒に考えてみたいという感情が生まれた。
今回の活動を通してまずよかった点はこのあしながの活動を知り、理解できたことである。他にも積極的にパンフレット配りや大きな声で呼びかけができたのは自分の成長につながったと感じる。しかし、いいことばかりでもなかった。それは「ボランティアで大切なことは人々に活動を理解してもらうこと」という先生の言葉とは食い違う出来事に遭遇したからである。呼びかけ中、私はある女性に出会った。その女性は「私は小学生のときに父を亡くしたけど、奨学金に頼らず母がここまで育ててくれたのよ」と言い残し、募金箱の前を素通りしていった。そのとき、遺児の状況を知ってもらった上で募金をしてもらいたいという活動内容をこの方は理解してくれなかったことが悲しいと思った。どうすればボランティア活動に対して多くの理解を得ることができるのかが今後の課題になりそうだ。
夕方6時になり代表者1名を先頭に全員で行う最後の呼びかけ(エンディング)が始まった。土曜日はあしなが育英会職員、松井佳さんが先頭に立った。「私が大学進学できたのはあしながの奨学金と母の支えがあったからです。中学2年で父を亡くし、女一つで自分を育てくれた母に感謝しています」と涙ぐみながら、最後まで呼びかけを続けた。その姿は松井さんの活動に対する熱意の表れであり、居合わせた人々の心に届いたと思う。日曜日はあしなが育英会大分学生代表の石橋弘基さんが先頭に立った。「自分のために一日中懸命に働く母を見て進学を諦めていたが、母の言葉に背中を押されて今の自分があります」と語ってくれた。そして最後に「大分の遺児は大分が救ってください。九州の遺児は九州が救ってください」と言う言葉を残し、二日間の活動に幕を降ろした。私にとってこの言葉はとても印象深いものである。今まで不自由なく大学進学できたことが当たり前のように感じていた私だったが、それは違うのだと思い知ることができた。そして、夢を持つ遺児が将来への道をどのように切り開いていくのがよいか一緒に考えてみたいという感情が生まれた。
今回の活動を通してまずよかった点はこのあしながの活動を知り、理解できたことである。他にも積極的にパンフレット配りや大きな声で呼びかけができたのは自分の成長につながったと感じる。しかし、いいことばかりでもなかった。それは「ボランティアで大切なことは人々に活動を理解してもらうこと」という先生の言葉とは食い違う出来事に遭遇したからである。呼びかけ中、私はある女性に出会った。その女性は「私は小学生のときに父を亡くしたけど、奨学金に頼らず母がここまで育ててくれたのよ」と言い残し、募金箱の前を素通りしていった。そのとき、遺児の状況を知ってもらった上で募金をしてもらいたいという活動内容をこの方は理解してくれなかったことが悲しいと思った。どうすればボランティア活動に対して多くの理解を得ることができるのかが今後の課題になりそうだ。
情報コミュニケーション学科1年 太田 有里紗